5年前の卒業生来訪
コロナで在学生はもとより卒業生もしばらく大学には来られなかったが、学生たちがキャンパスにもどって1か月、そして全国的に感染者数も落ち着いてきた11月、5年前に卒業したゼミ生がお菓子持参でお茶を飲みに来た。この学年もいいキャラ揃いで、思い出の多いゼミ生たちであった。


仕事のこと、そして誰が在学時の予想通り最初に結婚したとか、お年頃ということで恋愛の悩み相談など、「ほぼ親」としてうんうんと聞き、年長者なりの見方を話したり、自分の経験を話したりと、時間だけはあっという間にたち、気がついたら2時間半。Netflixのドラマ談義もあったりで、とてもリラックスした時間を過ごした。ふたりも、大学に来て話をするとほっとすると言ってくれました。またおいで。 [2021.11.22]
’93年卒 久々に江古田で
odasemi卒業生 映像作家・藤代雄一朗さん
普段は、学生時代からの慣れで「藤代君」と呼んでしまっているが、立派に仕事をしているのに、もはやそう呼ぶのも失礼になるかもしれないと「さん」付けタイトルにした。
このサイトのほとんどの記事には個人名が書かれていない。その理由は本人や同期あるいは知っている人だけわかれば十分なので、余計な個人情報でゼミ生や卒業生に迷惑をかけたくないという意図だ。
しかし、藤代君は映像の世界ではすでに有名だし、現にゼミ生でも卒業生であることを知って憧れている子もいたりする。
最近公開された彼の作品があまりにも素晴らしいので、ここに書かないわけにはいかなかった。

上の写真はゼミで活動していた頃のもの。何でも一生懸命に取り組んでいた。
私が感動した作品(SIGMA)は、会社で受けた仕事ではなく、本人へ直に依頼が来たものだと彼が教えてくれた。→SIGMA “Made in Aizu”
他のリンク:
SONYのインタビュー記事
水曜日のカンパネラ撮影裏話(M-on)
コマーシャルフォト
本人のサイト
実は、彼には私もかなり影響を受けたかもしれない。たとえば彼がかつて自分で作っていた「ボクナリスト」というインタビューのサイトは、これからヒントを得て武蔵の学生が作るサイト「Musashi WebMagazine」を立ち上げたし、一度トライした「卒ゼミ(卒業生対象のゼミ:過去記事参照)」も彼の発案だ。
こういう新しいものを生み出すことを見ているとこっちまでわくわくしてしまう。教師冥利に尽きる。 [2018.11.14]
odasemi2018 新宿
“odasemiXXXX”の意味は
’93年卒 人文学部社会学専攻1期生

卒業から25年の間、何度会ったのかカウントできないほど会っている社会学専攻1期生のふたり。一方は娘を連れて武蔵のオープンキャンパスに来たこともある。
親子二代か、と考えたら、「これでいいのか?」と少しだけ気になったことがある。それは呼び方だ。
学生時代や卒業からそれほど時間が経っていないうちは、彼ら彼女らがお互いを呼び合う言い方「○○ちゃん」を借用してこちらも使わせてもらっていた。しかし、大学生の子を持つ親に向かって「○○ちゃん」では特に子供の前では奇異に感じるのではないかと心配になった。
しかし、呼び方を「大人風」にしようと思っても、変えるタイミングや「どういう呼び方に変えるか」に悩み、結局実行できない。たとえば、ある時突然「○○さん」にしてしまうと、突然よそよそしくなってしまうようにも感じられるし、下の名前から名字への変化ならなおさらよそよそしさが漂う。
この点では欧米流の、親しくなったらファーストネームをそのまま、あるいは簡略化した呼び方で親しみを込めて呼び合う、というのは結構楽な方法のように感じる。
ネット上のハンドルネームでさえ、オフラインで会うと「さん」を付けてしまうような文化圏なので、やはり親しみを込めて相手を呼ぶ適切な表現方法がないのかもしれない。 [2018.4.12]
odasemi2014 大人しかった学生も

卒業して4年。学生時代は彼らの言葉によると「友達も少なく、大学構内も端を歩くような」学生生活をしていたのだという。学校と呼ばれる空間では、ともすると元気で活発で、前に出てきて大きな声で話すような「前向き」のキャラクターがよしとされ、高校や大学でもそうした性格の子をAO入試などでも欲しがる傾向がある。私自身はそれには少し懐疑的で、「それはそれでわかりやすいし、ポジティブな立ち振る舞いは『いい子』と評価されやすいが、社会はそんなキャラだけで成り立っているわけではないし、人の能力やよさというのは「前向きキャラ」とは別なところにあると思っている。
Y君は博報堂に転職が決まり、K君もイメージング機器輸入商社の「営業」として立派に仕事をしている。こんな彼らを見ていると「前向きキャラ」信仰が現実的じゃないことはよくわかる。いろんな話をしとても楽しい時間だった。[2018.4.3]
odasemi2017アポなし訪問
odasemi2008 江古田



メディア社会学科の1期生。結構仕事も忙しい年頃だろうに結局10人も江古田に集まるとは・・・。映像クリエーターにCAに広告代理店に通信会社にレコード会社と・・・まあそれぞれが異なる仕事に就いていても、江古田に集まると昔のゼミそのもの。真ん中の写真は東京五輪2020の公式カメラマンのウタのだった? 写真ありがとう [2017.9.15]
卒業生と花見の予定が散歩に
「他己分析」は「当たる占い」か
否が応でも自分の職業を選ばなければならない4年生の就職活動。しかし、自分がどんな仕事、職種に合うのかを考えるのはとても難しい。ゼミでは3年の後期、つまり、それまでの共同研究や合宿などで親密な関係ができ、お互いの性格や資質を理解しはじめた頃に、ゼミ生が互いに他己分析シートを書いて、自己イメージの修正や就活にも役立つヒントを交換している。もちろん教員もゼミ生全員のシートを書く。「最初の印象は・・」、「意外にこんなことが得意かもしれない」とか、「考えてみてもいい職業、会社」を書くわけだ。

過去には、考えてみてもいい職業欄にCA(客室乗務員)と書かれた学生が、それまで一度もCAのことなど口にも出さなかったのに、実際にCAになったりするので、意外に「当たる占い」の要素もあったりする(これまで2例もある)。
ある日、教務課の前で2008年3月に卒業したゼミ生(むっちゃん)とばったり会った。聞けば転職先に出す卒業証明書を発行してもらいに来たという。その際、むっちゃんは転職自体のことではなく、その職種についてハイテンションで話し始めた
「先生、このあいだとても不思議というか驚いたことがあったんです。転職を前にいろいろ整理していたら、大学時代、ゼミでのノートやらプリントやらが出てきたんですけど、その中から他己分析シートが出てきたんです。それで懐かしいな、と思って見ていたら、考えてみてもいい職業、会社の欄にゲーム会社とインテリアコーディネーターって書いてあったんです。一見何の脈絡もないふたつの仕事だけど、実は、私の最初の職場は大手ゲーム会社で、今度転職する先はインテリアコーディネーターの仕事なんです。インテリアの仕事は、なぜか興味を持って資格を取ったんです。なんか、あんまり当たっちゃってるんで、本当に驚きました。」

単なる偶然かどうかはわからないが、少なくともゼミのいろいろな活動の中で、周囲の学生や私は彼女の傾向や指向性を「直感的に」見抜いていたのかもしれない。話は少しずれるが、長い間、直感は非論理的で的確な判断ではないとされてきたが、最近では、直感による判断は言語による論理的な判断と同等か、それ以上の的確性を持つ可能性があるという研究もある。
他己分析という作業は、論理的に何か順番を追って記述していく、ということではなく、最初の印象や、意外にこういうことが得意かも、考えてみてもいい職種、会社を、それぞれ直感やひらめきに似たものを言語化していく作業だ。
卒業生が他己分析に書かれた、ふたつの異なった仕事に就いたという珍しい偶然を聞き、驚くと同時に、しかし、このような活動も、何かしら意味はあったのかもしれないとうれしくもあった。 [2016.3.11]
卒業生の半分がケッコン?
odasemi2015謝恩会ではなく…
odasemi2008 忘年会
想像を絶する「お祝い」
早朝、構内で踊るゼミ生たち
3年ゼミの高橋真君が監督をし、ゼミから7人参加した「笑いありサスペンスあり、そして歌あり踊りあり」というショートムービーが先日のオープンキャンパ スで学内放映された。その企画を聞いた時は、『あれもこれも詰め込んで企画もはっきりしないし、結局は素人なのだから、演技も踊りも中途半端で、(やった自分たち以外は)おもしろくもないものができあがるのでは…』と、ほとんど期待もしていなかった。
しかし、できあがったものを見せても らうと、たしかに演技や歌は素人っぽさが目立つが、ストーリーの流れや出演している学生たちのノリは荒削りだが若々しさがみなぎっており、見ている側にな ぜか恥ずかしいような気持ちが起きない。そして、最後は”事件”が解決して全員で踊るシーンになるのだが、これが何よりの見どころ、圧巻だ。全編が16分 なのだが、最後の踊りのシーンはなんと3分弱もある。

この撮影、試験期間中にやっていたというのだから驚きだ。しかも、外で踊るシーンは、音楽を流しながら撮影するので、試験開始前に終わるよう、5時起きをし、早朝に全員が集まってやったというのだ。

断っておくが、これは課題でもゼミ行事でも何でもない。学生たちが作ろうと言って集まり、自主的に作ったものだ。もちろん8月8日のオープンキャンパスで 実施された武蔵テレビ(1、2年生中心の社会実践プロジェクト)の中で放送されることを前提としているわけだが、それにしても、彼らの軽いノリからは想像 できないほど制作したものから出てくるエネルギー感はすごい。
ゼミは、単に共同研究や個人研究をする場ではなく、こうしたものを産み出す土壌としての側面もある。
薄暗いうちから撮影の準備をし、朝日を浴びて踊っている彼・彼女らを映像で見ると、見ているこっちまで元気が出てくるのだった。[2010.8.16]
追記
これを撮影していた中心メンバーの高橋くんは、卒業後映像制作会社へ入り、SUNTORYのCMを担当しカンヌ国際広告祭でブロンズ(賞)をもらったと大学に報告に来てくれた。やはり・・・。

報告に来てくれた高橋真くん(2014.6.19)
卒業生母校へ
odasemi2009 2人の結婚を祝う会
odasemi2012 卒業から1年半
odasemi2013 謝恩会
odasemi2009 また猛暑の中BBQ
上海から卒業生来訪
odasemi2012 卒業式・謝恩会
昨年は大震災と相次ぐ余震で卒業式自体が中止されたが、今年は大講堂改装後初めての卒業式となった。
卒業式後は、恒例の謝恩会。在学中は、「謝恩会って何? 誰に謝恩するの?」と直接問われて、教員としては答えに窮するのだが、これもそうした経験が少なくなってきたからだろうと。たしかに、社会では「謝恩セール」などでしか「謝恩」という言葉が使われない。消費者側が謝恩されるわけだ。『高い学費払ってるんだから、教員に謝恩というのはおかしいのでは』という発想もわからなくもないが、高等教育という教育サービスそのものと、そこでの人間的なつながり、先達としての刺激や、年長者としてのアドバイスなどは、やはり単なる教育サービスとは違う次元で考えてもいいのではないかと思う。私自身、今でも大学や大学院の先生方には、とても感謝している。
さて、江古田のレストラン「ラ・リオン」を貸し切りで使った謝恩会。あらかじめ書いてある質問のカードを引きながらその場で答えるなど、幹事役、いや幹事役じゃないゼミ生たちも、とてもいい準備をしてくれた。心温まる会だった。

そして最後には、「みんな元気で!」ではなく、「また近々会おう!」で散会した。 [2012.3.22]
odasemi2009 江古田で再会
どういうわけか、3年前に卒業したゼミ生15人のうち9人も集まった。場所は大学のすぐそば「暁」という飲み屋。仕事を辞めるタイミングは「3日、3ヶ月、3年」と言われるが、ちょうどその3年。すでに転職した後の卒業生も何人かいたが、このとき仕事を辞める相談をそれとなくしてきた卒業生もいた。驚きは、卒業して結婚し、今年ママになるという卒業生も。結婚も出産も20代ではそう多くない現代、とても珍しいケースだ。
普段はフツーに真面目な社会人なのだろうが、ゼミの飲み会とあって、まるで学生時代のように、みんなで馬鹿な話しに盛り上がり、大笑いしていた。
会の終わり頃、「やっぱり、何の気兼ねもなく馬鹿な話しができて、盛り上がれる友達って貴重だな」との声。 [2012.3.3]



「卒ゼミ」をやってみた
12月11日の日曜日に4年前に卒業したゼミ生たちのために「卒ゼミ」を行った。
始まりはfacebookでのこんなやりとりから。
F君「卒業生が集まって恩師に1日限定で授業してもらう、とかって出来たら面白くない?
元生徒は、3000とか5000円くらい払ってさ。大学と組んでそんな企画やってみたい。
「日本で一番おそい補講授業」とか、おじさんおばさん達が集まってお爺ちゃん教授の講義を聴く姿を、若い人たちが外野から見る、とかさ。
社会人になってから出てくる色んな疑問とか、社会学部生だと特に多いと思うんだよね。今の時代・今の僕らに先生だったらどんな考察をするんだろう?って。ちゃんと企画として提示すれば、大学側も受け入れてくれるのかな?
勝手に飲み屋でも出来るだろうけど、大学のイベントとして企画したほうが面白いと思うんだなー。」
という話から急速に話が盛り上がり、翌日には私が「11日に飲み会の予定だったけど、その日の午後にやるか?」と投稿し、現実の話となった。
大学は、これまで公開講座やイブニングスクールと銘打って社会人対象の講座を長い間開いてきた。しかし、これらは、卒業生もいたようだが、参加者は地域住民やたまたま車内広告を見て来た社会人がほとんどで、今回の卒業生たちの希望も、従来の公開講座やイブニングスクールとは違ったものだった。また、ゼミといいう単位では、一部の先生が特定の代のゼミ卒業生たちに講義風の話をしているという話を聞いたが、定例化もきちんとしたイベントにもなっていないのが実状のようだった。
そこで、まずはやってみなければ始まらないとばかりに急いで教室を借り実施してみた。
突然の「卒ゼミ」にかけつけることができたのは6名だったが、ゼミ終了後に開いた飲み会には11名が集まり、「卒ゼミ」の余韻を共有していた(同じ代は17名)。

講義のテーマは「メディア時代のシェア=共有」にした



参加者との議論を重視した講義に2時間、感想や今後の可能性についての検討におよそ1時間、合計3時間ほどの「実験」だった。
今後の検討課題は、卒業生だけではなく、現役ゼミ生も同席したほうがおもしろいのでは、とか、「卒論のリベンジしたい」という要望もあるので、個人発表も入れようか、など「卒ゼミ」がどんな場なのかを絞り込んでいく必要がある。ただ、少なくとも卒業生たちは、卒業後も「ゼミ」としての学びの場がほしいと思っていることは確かなようだ。
卒ゼミ終了後のfacebookでは、楽しかったという参加者たちの投稿を見た他のゼミや同じゼミの他の代から「自分たちもしたい」という声が上がっていた。 [2011.12.11]