藤代雄一朗さん来訪

Drawing and Manualを退社し独立した藤代さん(2008年3月卒業)が制作中のリサーチで大学を訪れ、来たついでに僕と昼食を一緒にしました。ほぼ3年ぶりの再会。前回江古田で飲み会をやった直後に国内コロナ流入が明らかとなり、この長い期間対コロナ生活を余儀なくされているということですね。
(仕事依頼で)「ご指名」も多いようで「抱えている仕事が7件」と相変わらず忙しい様子でした。 [2022.12.8]
伊藤園新俳句大賞入賞
雪の卒業式
5年前の卒業生来訪
コロナで在学生はもとより卒業生もしばらく大学には来られなかったが、学生たちがキャンパスにもどって1か月、そして全国的に感染者数も落ち着いてきた11月、5年前に卒業したゼミ生がお菓子持参でお茶を飲みに来た。この学年もいいキャラ揃いで、思い出の多いゼミ生たちであった。


仕事のこと、そして誰が在学時の予想通り最初に結婚したとか、お年頃ということで恋愛の悩み相談など、「ほぼ親」としてうんうんと聞き、年長者なりの見方を話したり、自分の経験を話したりと、時間だけはあっという間にたち、気がついたら2時間半。Netflixのドラマ談義もあったりで、とてもリラックスした時間を過ごした。ふたりも、大学に来て話をするとほっとすると言ってくれました。またおいで。 [2021.11.22]
odasemi2011 zoom飲み会
2011年卒業生からzoom飲み会をしようと声をかけられたので日曜昼過ぎに設定し集まった。ちょうどコロナでインドネシアから帰国中のゼミ生、子育て中の奥様、コロナで仕事が中止になっている理学療法士、これまた活動中止を余儀なくされているアイドル事務所、ずっと江古田でテレワークのIT系、大阪支社から一時帰京中のパパと普段だったら会うことのできる時間帯や場所がまちまちで実現はしなかっただろう飲み会をzoomでやることができた。パパは生まれて6ヶ月の赤ん坊を画面に登場させるなど、本当に外の飲み屋ではできないことができた楽しい飲み会だった。(ぼかし処理をしていないのは欠席した卒業生たちが友達の姿を見たいと言ったり、卒業生同士で共有しておきたいという希望があるからでもあります。また会おうと思えば会える現役ゼミ生とは違い「滅多に会えない」のでオンライン上で会うことを可能にする意味もあります。) [2020.5.10]
オンラインゼミ
未知のウィルスによる感染症のニュースが年明けにもたらされ、Netflixで「コンテイジョン」という映画を見て、『いやー、リアリティーあるし、科学的な考証がすごいな』などと(その頃はまだ)どことなくまだ他人事のように感じていたのだったが、あれよあれよという間に自分たちのところに来てしまった。
学校(大学)は休校措置が長引きそうで、少なくとも前期のかなりの期間は遠隔授業でやらなければならないことに。
通常時のゼミ開始から1週間は遅れたが4月17日からオンラインゼミを始めた。スクショは2回目のもの。

対面のゼミと同じようにはいかないことはわかっていたが、それでも毎週顔を合わせ、研究につながる話をし、刺激を受けてまた自分で考えるというサイクルは後で振り返ってみれば大事な時間になると思う。プライバシー保護の観点から教員以外をぼかしていますが、みんな明るく元気な姿で「登校」してくれました。[2020.4.24]
odasemi2008江古田で

メディア社会学科1期生が2年ぶりに江古田で集まった。前回からたった2年だったが、集まった卒業生は仕事や生活が(もはや老人のこちらから見れば)大きく変化していた。変わらないのは、馬鹿な話で盛り上がれること。社会人であってもしがらみのないこうした飲み会は貴重かもね。
【告知コーナー】
オリンピック公式カメラマンの詩が缶コーヒー「ジョージア エメラルドマウンテン」のスペシャルパッケージに登場します。2020年3月から順次発売とのこと。(→買いましたよ1ダース、「感動の一瞬を歴史に残る一枚にしてみせる」かっこいい! よすぎる)

【近況コーナー】
なおちゃん:結婚しダラスに住んで現地の人たちとポケモンやってまーす。はやと:楽天からAmazonに転職したよ。ゆうちゃん:満月バックのセカオワPV実写に1年かかったり、NHKのドラマ編集したり、パプリカ(米津玄師)の映像作ったりと、大変だけど仕事楽しんでます。もちこ:子育てと仕事大変だけど、通勤電車のビデオ視聴が安堵の時だわぁ。ひろ:ベンチャーと副業で寝る暇がない。体調不良から脱したけど目の隈が気になるので対策考え中。うた:エメマンすごいっしょ(おだ:うたが企画してやった家族写真もすごくよかったよ。五輪もがんば) (2020.1.11)
2019年の夏合宿
卒業生の活躍をテレビで
ゼミ卒業生のことは、選んだ仕事によっては、テレビやネットで知ることも時々ある。週末、テレビを視ながら珈琲を飲んでいたのだが、一瞬見た画面に大きく卒業生の名前が手書きで書かれていた。全録(設定したチャンネンルすべての番組を連続録画する仕組み)なので、戻って確かめてみると、確かに卒業生の名前だった。
新宿で会った時にも、たくさんのCM制作を経験しているようで忙しそうだったので、これもそのひとつだったのかと。
もちろん直接会って、元気に頑張っていることを知るのもうれしいが、制作などの現場に行った卒業生は、携わった作品を通して頑張って仕事をしていることを知るものうれしいものだ。LINEで「見たよ」と連絡したら「発見第一号」だと。
ロッテの「母の日エージェント」「0点」篇の答案大写しで気づいたのだった。仕事がんばれ〜 [2019.5.11]

’93年卒 久々に江古田で
odasemi2019 卒業
チャオズ(餃子)昼食会
2019年度の新ゼミ生が決まったばかりだが、その新ゼミ生から「顔合わせはないんですか?」と。
江古田の居酒屋でやるのもいいが、初顔合わせとなれば、みなが借りてきた猫状態で会話も弾まないだろうからと、ゼミにはすっかり慣れてうるさいほどになっている先輩たちと合同で餃子を作って食べよう、となった。今回は4年も入れた3学年だと45人を超えてしまい、そうなると入る部屋もないため、現3年と現2年の2学年のみになってしまった。4年のみんなごめん。



いつもなら3年生が早く来て餃子作りに大はしゃぎするが、今回作っていたのは現2年生中心。3年生は白飯とお茶の買い出し係だった。
カセットガスコンロとホットプレートの2台体制で約300個を焼く予定だったが、肝心のホットプレートを持参するゼミ生が忘れてしまい、たった1台で焼くことに・・・。結局2時間以上かかってしまった。結果的にはみんな楽しめたようなのでいいということにしよう。 [2018.12.21]
odasemi卒業生 映像作家・藤代雄一朗さん
普段は、学生時代からの慣れで「藤代君」と呼んでしまっているが、立派に仕事をしているのに、もはやそう呼ぶのも失礼になるかもしれないと「さん」付けタイトルにした。
このサイトのほとんどの記事には個人名が書かれていない。その理由は本人や同期あるいは知っている人だけわかれば十分なので、余計な個人情報でゼミ生や卒業生に迷惑をかけたくないという意図だ。
しかし、藤代君は映像の世界ではすでに有名だし、現にゼミ生でも卒業生であることを知って憧れている子もいたりする。
最近公開された彼の作品があまりにも素晴らしいので、ここに書かないわけにはいかなかった。

上の写真はゼミで活動していた頃のもの。何でも一生懸命に取り組んでいた。
私が感動した作品(SIGMA)は、会社で受けた仕事ではなく、本人へ直に依頼が来たものだと彼が教えてくれた。→SIGMA “Made in Aizu”
他のリンク:
SONYのインタビュー記事
水曜日のカンパネラ撮影裏話(M-on)
コマーシャルフォト
本人のサイト
実は、彼には私もかなり影響を受けたかもしれない。たとえば彼がかつて自分で作っていた「ボクナリスト」というインタビューのサイトは、これからヒントを得て武蔵の学生が作るサイト「Musashi WebMagazine」を立ち上げたし、一度トライした「卒ゼミ(卒業生対象のゼミ:過去記事参照)」も彼の発案だ。
こういう新しいものを生み出すことを見ているとこっちまでわくわくしてしまう。教師冥利に尽きる。 [2018.11.14]
odasemi2018 新宿
“odasemiXXXX”の意味は
odasemi2019,2020 夏合宿
odasemi2017 池袋
odasemi2014 池袋
odasemi2019 江古田
就活+個人研究+共同研究
’93年卒 人文学部社会学専攻1期生

卒業から25年の間、何度会ったのかカウントできないほど会っている社会学専攻1期生のふたり。一方は娘を連れて武蔵のオープンキャンパスに来たこともある。
親子二代か、と考えたら、「これでいいのか?」と少しだけ気になったことがある。それは呼び方だ。
学生時代や卒業からそれほど時間が経っていないうちは、彼ら彼女らがお互いを呼び合う言い方「○○ちゃん」を借用してこちらも使わせてもらっていた。しかし、大学生の子を持つ親に向かって「○○ちゃん」では特に子供の前では奇異に感じるのではないかと心配になった。
しかし、呼び方を「大人風」にしようと思っても、変えるタイミングや「どういう呼び方に変えるか」に悩み、結局実行できない。たとえば、ある時突然「○○さん」にしてしまうと、突然よそよそしくなってしまうようにも感じられるし、下の名前から名字への変化ならなおさらよそよそしさが漂う。
この点では欧米流の、親しくなったらファーストネームをそのまま、あるいは簡略化した呼び方で親しみを込めて呼び合う、というのは結構楽な方法のように感じる。
ネット上のハンドルネームでさえ、オフラインで会うと「さん」を付けてしまうような文化圏なので、やはり親しみを込めて相手を呼ぶ適切な表現方法がないのかもしれない。 [2018.4.12]
odasemi2014 大人しかった学生も

卒業して4年。学生時代は彼らの言葉によると「友達も少なく、大学構内も端を歩くような」学生生活をしていたのだという。学校と呼ばれる空間では、ともすると元気で活発で、前に出てきて大きな声で話すような「前向き」のキャラクターがよしとされ、高校や大学でもそうした性格の子をAO入試などでも欲しがる傾向がある。私自身はそれには少し懐疑的で、「それはそれでわかりやすいし、ポジティブな立ち振る舞いは『いい子』と評価されやすいが、社会はそんなキャラだけで成り立っているわけではないし、人の能力やよさというのは「前向きキャラ」とは別なところにあると思っている。
Y君は博報堂に転職が決まり、K君もイメージング機器輸入商社の「営業」として立派に仕事をしている。こんな彼らを見ていると「前向きキャラ」信仰が現実的じゃないことはよくわかる。いろんな話をしとても楽しい時間だった。[2018.4.3]
odasemi2018卒業式
odasemi2019総決起集会
odasemi2018&2019 餃子「製作実習」
odasemi2017アポなし訪問
odasemi2008 江古田



メディア社会学科の1期生。結構仕事も忙しい年頃だろうに結局10人も江古田に集まるとは・・・。映像クリエーターにCAに広告代理店に通信会社にレコード会社と・・・まあそれぞれが異なる仕事に就いていても、江古田に集まると昔のゼミそのもの。真ん中の写真は東京五輪2020の公式カメラマンのウタのだった? 写真ありがとう [2017.9.15]
odasemi2019 夏合宿(上田)
普段の専門ゼミ(3年)
卒業生と花見の予定が散歩に
「他己分析」は「当たる占い」か
否が応でも自分の職業を選ばなければならない4年生の就職活動。しかし、自分がどんな仕事、職種に合うのかを考えるのはとても難しい。ゼミでは3年の後期、つまり、それまでの共同研究や合宿などで親密な関係ができ、お互いの性格や資質を理解しはじめた頃に、ゼミ生が互いに他己分析シートを書いて、自己イメージの修正や就活にも役立つヒントを交換している。もちろん教員もゼミ生全員のシートを書く。「最初の印象は・・」、「意外にこんなことが得意かもしれない」とか、「考えてみてもいい職業、会社」を書くわけだ。

過去には、考えてみてもいい職業欄にCA(客室乗務員)と書かれた学生が、それまで一度もCAのことなど口にも出さなかったのに、実際にCAになったりするので、意外に「当たる占い」の要素もあったりする(これまで2例もある)。
ある日、教務課の前で2008年3月に卒業したゼミ生(むっちゃん)とばったり会った。聞けば転職先に出す卒業証明書を発行してもらいに来たという。その際、むっちゃんは転職自体のことではなく、その職種についてハイテンションで話し始めた
「先生、このあいだとても不思議というか驚いたことがあったんです。転職を前にいろいろ整理していたら、大学時代、ゼミでのノートやらプリントやらが出てきたんですけど、その中から他己分析シートが出てきたんです。それで懐かしいな、と思って見ていたら、考えてみてもいい職業、会社の欄にゲーム会社とインテリアコーディネーターって書いてあったんです。一見何の脈絡もないふたつの仕事だけど、実は、私の最初の職場は大手ゲーム会社で、今度転職する先はインテリアコーディネーターの仕事なんです。インテリアの仕事は、なぜか興味を持って資格を取ったんです。なんか、あんまり当たっちゃってるんで、本当に驚きました。」

単なる偶然かどうかはわからないが、少なくともゼミのいろいろな活動の中で、周囲の学生や私は彼女の傾向や指向性を「直感的に」見抜いていたのかもしれない。話は少しずれるが、長い間、直感は非論理的で的確な判断ではないとされてきたが、最近では、直感による判断は言語による論理的な判断と同等か、それ以上の的確性を持つ可能性があるという研究もある。
他己分析という作業は、論理的に何か順番を追って記述していく、ということではなく、最初の印象や、意外にこういうことが得意かも、考えてみてもいい職種、会社を、それぞれ直感やひらめきに似たものを言語化していく作業だ。
卒業生が他己分析に書かれた、ふたつの異なった仕事に就いたという珍しい偶然を聞き、驚くと同時に、しかし、このような活動も、何かしら意味はあったのかもしれないとうれしくもあった。 [2016.3.11]
ゼミ合宿は1年の差を感じる時
ゼミによって様々だが、多くのゼミでは夏合宿をやる。このゼミも毎年3、4年合同の夏合宿が2泊3日で行われ、今年も軽井沢で行った。
初日、まずは3年生の共同研究発表。数人のグループを作り、自分たちのやってみたいテーマについて中間報告をしつつ、前期いっぱいかけてやってきた共同研究だ。ひとつは鉄道オタクやJKなど特定の集団内で使われる言葉とその集団の規範の関係を扱ったもの、2つめはコミケや特定アーティストやタレントのコンサートに集まる人々とファッションの関係、3つめがヴィランズ(悪役)の役割とその機能、というテーマだった。

いつもは教員にいろいろダメ出しをされたり、コメントをもらったりしているが、この合宿では、4年生からこれが出てくる。同じゼミ学生ではあるが、1年研究を重ねてきた先輩からの発言は、シビアなコメントも多いし、的を射た指摘も多く、3年生にとっては自分たちとは大きく違う4年生の「レベル」に驚く。
大学の1年の差は、はたから見ると、そう大きく違うことはないようにも見えるが、こうした合同研究発表会などの場で、現実に上位年次の感想や指摘を聞くと、専門ゼミに入った後の1年の差は学生たち本人にとっては非常に大きく感じられているようだ。その理由は、研究の基本的作法や論理的思考、科学的根拠など、多くのことを深く学ぶのがゼミであり、ゼミ生もかなりの時間とエネルギーをそれに割いている。夏合宿まで、まだ半年の3年生と1年半やってきて今は卒業論文をまとめるために必死で研究している4年生とではやはり大きな実力差があるわけだ。たぶん、3年生に指摘したり、コメントしたりしている4年生も、『1年前は自分たちもこうだったんだろうな』と思ったに違いない。こういう差を実感できる場があってはじめて、人間は自分たちの成長や変化を自覚できるのだと思う。

初日の研究発表ではこのように、3年、4年の差を実感するシビアな場だが、翌日はお楽しみで、身体を使う遊びをしたり、ゼミ仲間と楽しく過ごしたりする日だ。まずは体育館でバレーボール、卓球、バドミントン、そして「だるまさんがころんだ」をやった。昼からは着替えて旧軽井沢観光。しなの鉄道というローカル鉄道に2駅乗り、散策したりトリックアートミュージアムで写真を撮ったりして皆大はしゃぎだった。


こうした経験の共有を経たからか、後期のゼミ室で先輩後輩がかわす挨拶は、なぜかとてもフレンドリーで、兄弟姉妹のような親密さが感じられる。 [2015.9.1-3]
4年前期最後のゼミ
卒業生の半分がケッコン?
odasemi2015謝恩会ではなく…
odasemi2008 忘年会
odasemi2015,odasemi2016 餃子パーティー
odasemi2015,2016 夏合宿
想像を絶する「お祝い」
高校生たちと「カワイイ」を議論
ちょっとしたいきさつで、専門ゼミ(3年)に7名の明星高校生が参加した。
当日は、ちょうど共同研究テーマ案についての下調べと方向性を発表する回で、言ってみれば最終発表の華々しい場面とは異なり、「どういうアプローチが可能なのか」「何を研究テーマに設定できるのだろう」という研究を始めたばかりの頃に特有の悩み多き時期。
この日、実際に発表が進むと、たとえば2グループ目の「カワイイ現象から何が見えてくるか」という内容の研究では、高校生が「カワイイときれいは現実にはどう使い分けられているのか」など身近な現象であるがゆえに、素朴な疑問をゼミ生にぶつけていた。議論が進むと、これは、形容の違いだけでなく、異論を顕在化させてしまう可能性という点において「カワイイ」が低く、そのぶん曖昧な表現として使われやすいのではないかという見方も提示された。わかりやすく言えば、「『かわいい』を多用することは、対立や異論が出ないような曖昧なコードとして頻繁に使われることであり、コミュニケーションでの同調を引き出す。(使い手の)円滑化指向の裏返しでは。」という仮説につながるものだった。
ゼミの最中、ゼミ生同士で「それを探っていって何がわかるのか」という根本的な問いをぶつけ合ってそれぞれが苦笑するところも高校生は目撃していた。ゼミでの研究はこのように、実際には悩んだり、相手の痛いところをついたり、逆に突かれたりといった苦労する部分のほうがずっと多い。高校生が同席することで、ゼミ生たちは緊張したかもしれないが、それは結果的にはいい刺激になったと思う。高校生にもわかってもらえる内容で、言葉で発表しなければならなかったのだから。
できることならこの段階のゼミに参加してくれた高校生たちには、最後の研究発表を見てほしいと思うが、残念ながらこれは、夏休みに軽井沢で行われるため現実的には無理だろう。
ただ、オープンキャンパスの個別相談コーナーには各学科の在学生たちが応対するコーナーもありいつも盛況だ。こういう場所で、実際のゼミの大変さやおもしろさを体験談として直接聞いてみるのもおもしろいと思う。 [2014.6.27]

[2014.6.28追記]
参加した高校生たちからフィードバックがきた。中に「生徒と先生の壁がほとんどない」「ディスカッションも興味をひくように工夫されていた」という感想があった。短時間のゼミ体験だったので、どの程度わかってくれたか気になっていたが、「壁がほとんどない」と感じてくれたことが何よりだった。また「大学というものの見方が変わりました」という大胆(?)な感想も。
早朝、構内で踊るゼミ生たち
3年ゼミの高橋真君が監督をし、ゼミから7人参加した「笑いありサスペンスあり、そして歌あり踊りあり」というショートムービーが先日のオープンキャンパ スで学内放映された。その企画を聞いた時は、『あれもこれも詰め込んで企画もはっきりしないし、結局は素人なのだから、演技も踊りも中途半端で、(やった自分たち以外は)おもしろくもないものができあがるのでは…』と、ほとんど期待もしていなかった。
しかし、できあがったものを見せても らうと、たしかに演技や歌は素人っぽさが目立つが、ストーリーの流れや出演している学生たちのノリは荒削りだが若々しさがみなぎっており、見ている側にな ぜか恥ずかしいような気持ちが起きない。そして、最後は”事件”が解決して全員で踊るシーンになるのだが、これが何よりの見どころ、圧巻だ。全編が16分 なのだが、最後の踊りのシーンはなんと3分弱もある。

この撮影、試験期間中にやっていたというのだから驚きだ。しかも、外で踊るシーンは、音楽を流しながら撮影するので、試験開始前に終わるよう、5時起きをし、早朝に全員が集まってやったというのだ。

断っておくが、これは課題でもゼミ行事でも何でもない。学生たちが作ろうと言って集まり、自主的に作ったものだ。もちろん8月8日のオープンキャンパスで 実施された武蔵テレビ(1、2年生中心の社会実践プロジェクト)の中で放送されることを前提としているわけだが、それにしても、彼らの軽いノリからは想像 できないほど制作したものから出てくるエネルギー感はすごい。
ゼミは、単に共同研究や個人研究をする場ではなく、こうしたものを産み出す土壌としての側面もある。
薄暗いうちから撮影の準備をし、朝日を浴びて踊っている彼・彼女らを映像で見ると、見ているこっちまで元気が出てくるのだった。[2010.8.16]
追記
これを撮影していた中心メンバーの高橋くんは、卒業後映像制作会社へ入り、SUNTORYのCMを担当しカンヌ国際広告祭でブロンズ(賞)をもらったと大学に報告に来てくれた。やはり・・・。

報告に来てくれた高橋真くん(2014.6.19)
odasemi2015 卒論&就活がんばろう会
卒業生母校へ
odasemi2009 2人の結婚を祝う会
odasemi2012 卒業から1年半
odasemi2014,2015 夏合宿
今年はいつもの軽井沢のもっと先、長野県上田市にあるベルデ武石で合宿をした。初日午後は、夕方までずっと研究発表が続く。共同研究のレジュメやパワポ制作に朝までかかったというゼミ生も多いためか、時々休みを入れないと、頭がかっくんかっくんするゼミ生がちらほら。みんな寝る時間もなく、頑張ったんだなぁ、と。研究発表の最後のほうには、4年の卒論、卒制の短い報告もいくつかあった。
初日はこの研究発表の準備で寝不足のゼミ生が多いからか、早めに就寝したようだ。
2日目は、グラウンドで今度は体のほうを動かす。今回はなつかしのキックベースをイベント担当が考えてくれた。子どもの遊びと侮るなかれ、シーソーゲームで非常に盛り上がった。こんなにおもしろいゲームだっけ? というゼミ生が何人も…


昼は、緑の中でBBQ。火起こし、素材準備、そして食べ始めたが、たぶん2時間以上は食べ続けていたような… [2013.9.3-5]

odasemi2016 共同研究(3年)
なぜ共同研究からスタートするかと言えば、何より、個人で研究をスタートできる3年生はかなり少ないからだ。私の基礎ゼミなら共同研究をさせるので、1度は経験して研究の手順を覚えているが、他のクラスだとそうした経験がない場合も多い。ましてや1年次のクラスは選べないので、3年全員があらためて前期に共同研究をしている。研究テーマを自分たちで決めさせるが、これが非常に難しい。調べたらすぐに判明してしまうこともあるし、逆に、調べても科学的には検証不可能なものもある。議論していくうちに、「現象面は何かしらおもしろそうなものだが、そのウラに何か原因というか知らない法則や原理が隠れている(かもしれない)」というテーマに絞り込まれていく。
そして、ゼミとは別な時間にサブゼミという共同研究などを行う時間を各班で作っている。図書館のディスカッションルームなどは、資料や文献をすぐに持ってきて検討できるうえ、パソコンも持ち込めるので、共同研究には便利な作業スペースだ。(ただし、あまり議論が活発化し、声が大きくなると係員に注意されるらしい)



ちなみに共同研究のテーマは、
1.マンガ誌からみるジェンダーイメージ
2.集団とファッション
3.若い世代に見られるキャラコミュニケーションの実態
4.世代別大学生イメージとその意味
で、テーマの言葉はよくありそうなものだけれど、視点や検証方法がどれも斬新なものだった。 [2013.7.5]
議論の訓練
ああでもないこうでもない、何をどうしたら何がわかる?等々、笑ったり騒いだりしながら大まじめに議論しているのは3年ゼミの共同研究テーマ絞り込み。メディアやコミュニケーションがらみのことは、トピックとしての候補は多いが、2ヶ月ぐらいでまとめ上げることのできる研究テーマとなれば、結構ハードルは高い。
この日の候補は、「男子が女の子向けのマンガを見ることと、女子が男の子向けのマンガを見ることには外からの視線が異なるが、そこから何がわかるか」、「大学生というステレオタイプと実際の大学生が持つ大学生像の違い」「学科やサークルなどのグループ(小集団)とファッションの傾向性」など、目に見える現象からその裏にひそむ法則や原理を探ろうというものだった。どのテーマ案もゼミ生が提案した身近な疑問だが、これを研究の領域までにするには結構大変な作業だ。

性別とマンガの議論でも、ステレオタイプが作用しているらしいというところまでは議論が進み、まずはステレオタイプの意味や機能を探ってみることになっ た。最初は、あのマンガ見たとか、おもしろいマンガだったとか、話しがそれてしまうこともしばしばで、本題が何だったかを忘れてしまうことも多かったが、 この頃は教員が脇道へそれていることを指摘する前に「で、これは結局どういうアプローチで調べていくの」などと学生が自分たちで議論の道筋を理解し修正しながら進めてくれるようになったので、私としてもとてもうれしい。
ゼミは学生が主体。しかし、サークルや友達のように話題がどんどんそ れていっても楽しければそれでいい、というような集団ではないし、議論の目的も違う。ところどころ脇道にそれながらも、きちんと研究の方向を理解し、共同 研究発表という目標に向け、考え、発言していく。こういう訓練は大学だけでなく、社会に出てからもとても役立つだろうと思う。
今週のゼミもまたガラス張りのゼミ室で「ああでもない、こうでもない」の議論が続く。 [2013.7.3]
odasemi2015 いわゆるゼミコン
odasemi2013 謝恩会
odasemi2013,2014 軽井沢夏合宿
odasemi2009 また猛暑の中BBQ
上海から卒業生来訪
ゼミ打ち上げと「餃子の常識」
授業が終わって休みに入る頃、いくつかのゼミでは打ち上げ、あるいはゼミコンパが開かれる。これは高校生でも期末になるとやることもあるらしいので特段珍しいことではない。しかし、特に社会学部のゼミの中には、単に居酒屋などでのコンパではない打ち上げをするところも少なくない。
7月の授業最終日、教員(私)とゼミ生は学内のとある場所に、包丁、ボウル、フライパンなど、およそ大学にはふさわしくない品々を持参して集まった。始まったのは餃子作り。備え付けのキッチンで、キャベツ、ニラをきざみ、にんにく、しょうがと豚挽肉を入れて少しだけ味を付けて餃子の中身を作っていく。3年生と4年生 30名なので300個をゼミ生みんなで包んで作った。こうした調理に慣れた学生もいれば、とても餃子には見えないヒダのないものを作る学生もいる。これは 男女はほとんど関係なく、普段の生活やバイト、調理経験が差になって出てくる。
お弁当屋さんから買ってきた暖かいご飯と一緒に、こんがり焼き上がったところで、「いただきま〜す」。

おもしろかったのは、メディアがこれだけ発達し、多くの情報が共有されているはずなのに、それぞれの家庭の「餃子の常識」が露呈したことだ。ある学生は「お母さんに聞いたら餃子のタネは崩れてしまうから卵を入れた方がいい」と言い、また、ある学生は、「家では餃子と言えば、七味唐辛子と醤油で食べるものであって、それ以外の調味料はあり得ない。」と言う。それを聞いている側は「ヘンだ」とか「おかしいだろ」と反応する。たしかに作り方や食べ方には多数派が あるが、だからといってそれ以外の方法や食べ方を否定するのは、本当はおかしな話だ。要は、食べた人がおいしく感じ、満足すればそでいれいわけなのだから。
実際、餃子の作り方、食べ方に正しいとか間違いはない。本来、どれもが肯定されるべきものだ。食べ物以外でも、こんなふうに家庭で異なることは、地域でも異なることがあるかもしれない。地域だけではなく、国や文化圏でも違いがあるかもしれない。一方から見れば他方はおかしいように見えるかもしれないが、それを単純に「正しい」「間違い」と判定してしまう発想そのものに、実は考えてみなければならないポイントが潜んでいると、そんな難しい話は横に置いておいて、ゼミの打ち上げ、餃子パーティーは後片付けや部屋の掃除も含めて5時間も続いた。たまたま夏だったので餃子になったわけだが、これが冬になると「鍋パ(鍋パーティー)」となる。

「人の心に通じる道は 胃袋を通る」(開高健の言葉)
一緒に作ったり食べたりすると、人間はとても仲良くなります。[2012.7.20]
odasemi2013,2014 ゼミコン
史上はじめて、同じ店で同時刻にふたつのコンパが重なった。2年実習と3年専門ゼミだ。
実習も専門ゼミも16名だが、違うのは男女比。実習が女性10で男性6、逆に専門ゼミは、女性6に男性10。まったく逆の構成比だ。
で、飲み会でどんなふうに雰囲気が違うかと言えば、

こちらは女の子の多い2年実習。右の男子学生は口に手を当てて驚いているが、他の女性軍は全員拳をつき挙げてノリにのっている。

集合写真でも、このノリだ。実にパワフル。

こちらは同じ店、同時間帯に開かれた3年ゼミ。大人というか、大人しいというか…
騒いで、盛り上がればいいというものではないが、この雰囲気の差は、やはり男女比率の問題がもっとも大きいのではないかと感じた。専門ゼミでも女子比率の大きい年は雰囲気もずいぶん違うわけなので。
まあ、どちらもそれなりに楽しさがあったので、どっちがどうということではないが、コンパにも(盛り上がりの前提となる)「他者との協調、シンクロ」圧力ははたらいているはずだし、それに男女差があっても当然だろう。そう考えると、コンパそのものを観察対象にしてみると、そこからもいろいろ見えてきそうだ。 [2012.4.26]
odasemi2012 卒業式・謝恩会
昨年は大震災と相次ぐ余震で卒業式自体が中止されたが、今年は大講堂改装後初めての卒業式となった。
卒業式後は、恒例の謝恩会。在学中は、「謝恩会って何? 誰に謝恩するの?」と直接問われて、教員としては答えに窮するのだが、これもそうした経験が少なくなってきたからだろうと。たしかに、社会では「謝恩セール」などでしか「謝恩」という言葉が使われない。消費者側が謝恩されるわけだ。『高い学費払ってるんだから、教員に謝恩というのはおかしいのでは』という発想もわからなくもないが、高等教育という教育サービスそのものと、そこでの人間的なつながり、先達としての刺激や、年長者としてのアドバイスなどは、やはり単なる教育サービスとは違う次元で考えてもいいのではないかと思う。私自身、今でも大学や大学院の先生方には、とても感謝している。
さて、江古田のレストラン「ラ・リオン」を貸し切りで使った謝恩会。あらかじめ書いてある質問のカードを引きながらその場で答えるなど、幹事役、いや幹事役じゃないゼミ生たちも、とてもいい準備をしてくれた。心温まる会だった。

そして最後には、「みんな元気で!」ではなく、「また近々会おう!」で散会した。 [2012.3.22]
odasemi2009 江古田で再会
どういうわけか、3年前に卒業したゼミ生15人のうち9人も集まった。場所は大学のすぐそば「暁」という飲み屋。仕事を辞めるタイミングは「3日、3ヶ月、3年」と言われるが、ちょうどその3年。すでに転職した後の卒業生も何人かいたが、このとき仕事を辞める相談をそれとなくしてきた卒業生もいた。驚きは、卒業して結婚し、今年ママになるという卒業生も。結婚も出産も20代ではそう多くない現代、とても珍しいケースだ。
普段はフツーに真面目な社会人なのだろうが、ゼミの飲み会とあって、まるで学生時代のように、みんなで馬鹿な話しに盛り上がり、大笑いしていた。
会の終わり頃、「やっぱり、何の気兼ねもなく馬鹿な話しができて、盛り上がれる友達って貴重だな」との声。 [2012.3.3]



odasemi2012 卒論提出打ち上げ鍋パ
前週に卒論・卒制を無事提出した4年生が打ち上げの鍋パーティーを学内で開いた。昼から買い出しをし、鍋やコンロを準備し、3つの鍋を作った。寄せ鍋、チゲ鍋、肉も魚も入れるちゃんこ風鍋。 [2011.12.14]
当日昼から私は熱があって、食欲がほとんどなかったが、それでも最後にごまだれ+カルピス隠し味(実は鍋のつゆがなくなり、味を付けられるものがこれしかなかった)のうどんを作ってみんなで食べた。
「卒論のプレッシャーを乗り越えたんだから、これからは何でも大丈夫」というゼミ生、「口述試験は○○先生なんですか? 不安」とこの先の審査を心配するゼミ生、いろいろ話しが出ていたようだが、食べて、飲んで、笑って、結局5時間も大騒ぎしていた。みんな卒論卒制本当にお疲れさま。



「卒ゼミ」をやってみた
12月11日の日曜日に4年前に卒業したゼミ生たちのために「卒ゼミ」を行った。
始まりはfacebookでのこんなやりとりから。
F君「卒業生が集まって恩師に1日限定で授業してもらう、とかって出来たら面白くない?
元生徒は、3000とか5000円くらい払ってさ。大学と組んでそんな企画やってみたい。
「日本で一番おそい補講授業」とか、おじさんおばさん達が集まってお爺ちゃん教授の講義を聴く姿を、若い人たちが外野から見る、とかさ。
社会人になってから出てくる色んな疑問とか、社会学部生だと特に多いと思うんだよね。今の時代・今の僕らに先生だったらどんな考察をするんだろう?って。ちゃんと企画として提示すれば、大学側も受け入れてくれるのかな?
勝手に飲み屋でも出来るだろうけど、大学のイベントとして企画したほうが面白いと思うんだなー。」
という話から急速に話が盛り上がり、翌日には私が「11日に飲み会の予定だったけど、その日の午後にやるか?」と投稿し、現実の話となった。
大学は、これまで公開講座やイブニングスクールと銘打って社会人対象の講座を長い間開いてきた。しかし、これらは、卒業生もいたようだが、参加者は地域住民やたまたま車内広告を見て来た社会人がほとんどで、今回の卒業生たちの希望も、従来の公開講座やイブニングスクールとは違ったものだった。また、ゼミといいう単位では、一部の先生が特定の代のゼミ卒業生たちに講義風の話をしているという話を聞いたが、定例化もきちんとしたイベントにもなっていないのが実状のようだった。
そこで、まずはやってみなければ始まらないとばかりに急いで教室を借り実施してみた。
突然の「卒ゼミ」にかけつけることができたのは6名だったが、ゼミ終了後に開いた飲み会には11名が集まり、「卒ゼミ」の余韻を共有していた(同じ代は17名)。

講義のテーマは「メディア時代のシェア=共有」にした



参加者との議論を重視した講義に2時間、感想や今後の可能性についての検討におよそ1時間、合計3時間ほどの「実験」だった。
今後の検討課題は、卒業生だけではなく、現役ゼミ生も同席したほうがおもしろいのでは、とか、「卒論のリベンジしたい」という要望もあるので、個人発表も入れようか、など「卒ゼミ」がどんな場なのかを絞り込んでいく必要がある。ただ、少なくとも卒業生たちは、卒業後も「ゼミ」としての学びの場がほしいと思っていることは確かなようだ。
卒ゼミ終了後のfacebookでは、楽しかったという参加者たちの投稿を見た他のゼミや同じゼミの他の代から「自分たちもしたい」という声が上がっていた。 [2011.12.11]
odasemi2013 ハロウィンパーティー
池袋の監獄飲み屋で、3年ハロウィンパーティーが行われた。以前、カナダに1年住んだ時に、ハロウィンを体験しているが、日本で想像するよりはるかに規模が大きい、というか街全体が異様な空気に包まれ、街を歩く人々は、まるで映画にでも出てくるような扮装をしていて、本当に驚く。非日常という言葉がこれほど似合うイベントもない。
幹事さんもこのへんを考慮して監獄飲み屋なるところを設定してくれた。店内に入るにも手錠をかけられ長くくねった通路を歩かされ、席ではビーカーのコップで酒を飲む。時々店内が暗くなり覆面姿の怪しい男やゾンビが店内を騒がしく行き来するたびに女性客からの嬌声が店内に響く。大人も楽しめる異空間だった。幹事さんありがとう。 [2011.10.25]

odasemi2012 夏合宿(軽井沢)
9月10日から3日間、軽井沢で4年合宿が行われた。初日は昼を軽井沢のイタリアンレストランでとり、その後白糸の滝へ、予定では2時間以上撮影時間をとって、写真コンテストをするはずだったが、1時間程度になってしまった。施設へチェックインし、夕食後、大部屋でシーツをスクリーンにし写真コンテストを実施。軽井沢での写真撮影時間があまり取れなかったため、手持ちの写真データで行った。その後は卒論テーマ発表。2日目はBBQで半日を使い、余力のあるゼミ生は体育館へ。夜は雨がやんだ短い時間に花火大会。翌日は午前中、軽井沢観光、アウトレット、そして全員でそば打ち体験。2時過ぎから打ちはじめ、食べられたのは5時近くとなった。イベント盛りだくさんの楽しい合宿となった。 [2011.9.10-12]

