高校生たちと「カワイイ」を議論

ちょっとしたいきさつで、専門ゼミ(3年)に7名の明星高校生が参加した。

当日は、ちょうど共同研究テーマ案についての下調べと方向性を発表する回で、言ってみれば最終発表の華々しい場面とは異なり、「どういうアプローチが可能なのか」「何を研究テーマに設定できるのだろう」という研究を始めたばかりの頃に特有の悩み多き時期。

この日、実際に発表が進むと、たとえば2グループ目の「カワイイ現象から何が見えてくるか」という内容の研究では、高校生が「カワイイときれいは現実にはどう使い分けられているのか」など身近な現象であるがゆえに、素朴な疑問をゼミ生にぶつけていた。議論が進むと、これは、形容の違いだけでなく、異論を顕在化させてしまう可能性という点において「カワイイ」が低く、そのぶん曖昧な表現として使われやすいのではないかという見方も提示された。わかりやすく言えば、「『かわいい』を多用することは、対立や異論が出ないような曖昧なコードとして頻繁に使われることであり、コミュニケーションでの同調を引き出す。(使い手の)円滑化指向の裏返しでは。」という仮説につながるものだった。

ゼミの最中、ゼミ生同士で「それを探っていって何がわかるのか」という根本的な問いをぶつけ合ってそれぞれが苦笑するところも高校生は目撃していた。ゼミでの研究はこのように、実際には悩んだり、相手の痛いところをついたり、逆に突かれたりといった苦労する部分のほうがずっと多い。高校生が同席することで、ゼミ生たちは緊張したかもしれないが、それは結果的にはいい刺激になったと思う。高校生にもわかってもらえる内容で、言葉で発表しなければならなかったのだから。

できることならこの段階のゼミに参加してくれた高校生たちには、最後の研究発表を見てほしいと思うが、残念ながらこれは、夏休みに軽井沢で行われるため現実的には無理だろう。

ただ、オープンキャンパスの個別相談コーナーには各学科の在学生たちが応対するコーナーもありいつも盛況だ。こういう場所で、実際のゼミの大変さやおもしろさを体験談として直接聞いてみるのもおもしろいと思う。 [2014.6.27]

[2014.6.28追記]
参加した高校生たちからフィードバックがきた。中に「生徒と先生の壁がほとんどない」「ディスカッションも興味をひくように工夫されていた」という感想があった。短時間のゼミ体験だったので、どの程度わかってくれたか気になっていたが、「壁がほとんどない」と感じてくれたことが何よりだった。また「大学というものの見方が変わりました」という大胆(?)な感想も。

早朝、構内で踊るゼミ生たち

3年ゼミの高橋真君が監督をし、ゼミから7人参加した「笑いありサスペンスあり、そして歌あり踊りあり」というショートムービーが先日のオープンキャンパ スで学内放映された。その企画を聞いた時は、『あれもこれも詰め込んで企画もはっきりしないし、結局は素人なのだから、演技も踊りも中途半端で、(やった自分たち以外は)おもしろくもないものができあがるのでは…』と、ほとんど期待もしていなかった。

しかし、できあがったものを見せても らうと、たしかに演技や歌は素人っぽさが目立つが、ストーリーの流れや出演している学生たちのノリは荒削りだが若々しさがみなぎっており、見ている側にな ぜか恥ずかしいような気持ちが起きない。そして、最後は”事件”が解決して全員で踊るシーンになるのだが、これが何よりの見どころ、圧巻だ。全編が16分 なのだが、最後の踊りのシーンはなんと3分弱もある。

この撮影、試験期間中にやっていたというのだから驚きだ。しかも、外で踊るシーンは、音楽を流しながら撮影するので、試験開始前に終わるよう、5時起きをし、早朝に全員が集まってやったというのだ。

断っておくが、これは課題でもゼミ行事でも何でもない。学生たちが作ろうと言って集まり、自主的に作ったものだ。もちろん8月8日のオープンキャンパスで 実施された武蔵テレビ(1、2年生中心の社会実践プロジェクト)の中で放送されることを前提としているわけだが、それにしても、彼らの軽いノリからは想像 できないほど制作したものから出てくるエネルギー感はすごい。

ゼミは、単に共同研究や個人研究をする場ではなく、こうしたものを産み出す土壌としての側面もある。

薄暗いうちから撮影の準備をし、朝日を浴びて踊っている彼・彼女らを映像で見ると、見ているこっちまで元気が出てくるのだった。[2010.8.16]

追記

これを撮影していた中心メンバーの高橋くんは、卒業後映像制作会社へ入り、SUNTORYのCMを担当しカンヌ国際広告祭でブロンズ(賞)をもらったと大学に報告に来てくれた。やはり・・・。

報告に来てくれた高橋真くん(2014.6.19)